演劇部「向ヶ丘のミュゼ」本番初日。お客さんは八十人くらい。まぁ、いつもと同じ。 二つ上、高校二年生の花戸先輩が、同じ高二の墨家先輩をいじっている。
「当然。来るでしょうね」
からかわれるのもどこ吹く風だ。人間、どれだけ才能や能力があるとあんなに自信満々に振る舞えるものなのだろうか。「しかも最前列で」
(最前列?)
「まぁ、ああいうところは趣がないわな」
「ひゅーひゅー」
恋愛の話だと判って周りの後輩たちも耳をそばだてているのが判る。
「しかもあれでしょ、家族連れ」
「家族っていうか、弟ね」
(弟?)
「それはもうアレだ。弟よ、あれが未来の義姉さんだ、的な?」
「うぜぇなこいつ。そんなんだから部長なんだよ」
「ちょっと云っている意味がわからない……で、森下の弟って、中学部だっけ?」
「そうなんじゃないの」
(モリシタ???)
「えーと、あ、ちょうどよかった。引酉さん」
花戸先輩はくるりと私の方に首を回して問うた。
「森下って子、知ってる? 中三……だったと思う」
あれが未来の義姉さんだ、的な。
(うわあわあああ)
伊武先生だ。
「なんだお前か。どうした、だいじょぶか?」
「いえ、大丈夫です。大丈夫ですんで」
「本番含め、どう考えても大丈夫ではないだろう……お前、萩窪駅か。――乗んなよ」
ひくとり『お兄ちゃん』
丹 『?』
ひくとり『アキラくん、お兄ちゃんと舞台観に来たの?』
丹 『そういうわけじゃないんだけど』
ひくとり『なんで』
丹 『わかんねえ』
丹 『たまたま』
ひくとり『なんでじゃなかった』
ひくとり『なんでお兄ちゃんが舞台を観に来たかは知ってるの』
ひくとり『?』
丹 『クラスの知り合いでも出てるんじゃないかな』
ひくとり『ふーん』
ひくとり『お兄さんは今、どこにいるの?』
丹 『なんで』
ひくとり『なに?』
丹 『なんで、そんなに兄貴に興味があるの?』
ひくとり『いや』
丹 『兄貴の話やめろよ』
ひくとり『兄弟で来たのが不思議だっただけ』
ひくとり『ごめん』
翌朝、夜中のことなんかすっかり忘れてスマホを開くと『感想、言っていい?』とだけメッセージが残っていた。
嫌な女になってしまった。
会いに行かないけれども、心の真中ではずっと丹くんが居座り続けている。
「ちょっと」
駅までの路を自動運転のように歩いていたら、コンビニの自動ドアから墨家先輩がにゅっと顔を出した。
「ひゃあ」
「別に命までは取りゃしないから」「これなんだけど」「これ、リボDが当たってると思うんだけど、どうしたらいいの? えーと、具体的には、チケットとともに品物を持っていけばいいのか、チケットを店員に渡せばいいのか」
「ああ、それだったら店員さんにチケットを渡せばいいんですよ」
「そっか」
「なんだか世の不条理を垣間見るわ」
そういうと、墨家先輩は私にドリンクを押し付けてくる。
「いや、そんな、いいですって」「墨家先輩はその、つまり浦島太郎の亀みたいな人なんですね?」
「いい度胸してんじゃないの」
あ、しまった、と思った。なんでそこで「乙姫様」とか云えないのだろう。
「まぁ、亀か」
墨家先輩はしばし反芻して(この辺の時間のとり方が独特だ)、 墨家先輩はひとしきり自分を納得させるようにつぶやいたあと、周囲をチラと見回して、 と嬉しそうに云った。
おかげで眠れない。味も今までに飲んだことがない味だし、丹くんともラインをしたがこっちが珍しく通信を切り上げないので先に寝てから三時間も経ってしまった。 これ、明日の朝はちゃんと学校に行けるのだろうか。 ここに里見
義実「あれが我らの目指す処。ここから舟で渡ろう」
義実は振り返った。
「貞行、近隣の漁家に申し付け、舟を用意させるんだ」「遅いのお」
たちまち嵐は止む。雲は収まり、傾きつつ残る陽は未だ揺れる波を彩る。松の枝から雫が滴る。
「見たか氏元……波の中から白龍が立った」
「はっ、私にはただ何か怪物の
股かと思われましたが鱗の如きは僅かに見ました」
義実は頷き、
「そうか、私は尾と足のみを見た、全身を見たかったな」
「あれは龍で御座いますか」
「うむ。氏元、龍について少し話してやろうか。龍は
神物、変化極まりなく、古の人の伝える話は幾らもある……」
「ぜひ」
義実は浜に下り、岩に腰かけた。氏元はやや離れて控える。
鱗虫
雨工と言う。また
雨師とも言うんだ。さて……次に形を述べてみる。角は鹿に似て、頭は
駝に似ている。眼は鬼、項は蛇に似る。腹は
蜃に似て、鱗は魚、その爪は鷹のようで、掌は虎の如し、耳は牛に似る。これらまとめて
三停九似と呼び」「その
含珠は
頷にある。聴く時は角を以ってする。喉の下、
長径淪み、
潜
蟠て敢えて出でず。之その害を避くる也……」 老いて壮なる氏元も義実の若さには勝てぬ。気を抜けば幾日かの疲労が睡魔となって顕れる。氏元は貞行の帰りを覗う顔で立ちかけたが義実は話を継いだ。 揺らぐ氏元の意識に義実の念仏じみた言葉が流れる。
「おお、殿、あれは貞行では……」
「また
癡龍あり、
懶龍あり、龍の性は、淫にして交わらざる所なし」
「……はい」
「牛と交われば
麒麟を生み、亥と合えば
象を生み、馬と交われば
龍馬を生む。また子の数は九ツと言う説がある。第一子を
蒲牢と言い、鳴く事を好む。鐘の天辺の龍頭はこれを象るものなんだ。第二子を
囚牛と言い、鳴り物を好む、琴鼓の飾りにこれを象る。第三子を
蚩物と言い、呑む事を好む。盃などにこれを描く。第四子を
嘲風と言い、険しい処を好む。堂塔楼閣の瓦がこれを象る。第五子を
睚眦と言い、殺しを好む。大刀の飾りにこれを付ける。第六子を
負屭と言い、文を好む。印材の飾りに象る。第七子を
狴犴と言い、訟を好むと言う。第八子を
狻猊と言い、これは即ち獅子だな。坐るを好むと言われる故、椅子、曲彔に象る事がある。第九子を
覇下と言う。重きを背負うを好む。鼎の足とか多く物の下にある鬼面の如きは即ちこれだ。さて、子はまだ居るぞ。
憲章は
囚を好み、
饕餮は水を好み、
蟋蜴は生臭さを好み、
𧖣𧊲は風雨を好み、
螭虎は
文
彩を好み、
金猊は烟を好み、
椒図は口を閉ずるを好み、
虭蛥は険しきに立つを好み、
鰲魚は火を好み、
金吾は眠らぬと言う。これ全て、皆な龍の種類なんだ。ああ大いなる龍の徳、易にとっては
乾の道、物にとっては
神聖なり。その種類の多さ、人に上智と下愚と有り、天子と匹夫の有るが如きか。龍は威徳で百獣を伏す。天子もまた威徳で百宦を率い給う。故に天子の服に
袞龍の御衣があり、さらに天子の御顔を
龍顔と讃え、また御身体を
龍体と唱え、怒らせ給うを逆鱗と呼ぶわけだ。これらはみな龍に象る。その徳は枚挙に
暇もない。いま白龍が南へ去った。白は源氏の服色。南は即ち房総、
皇国の尽くる処。私はその尾を見て頭を見ない、僅かに彼地を領せんのみ。氏元、汝は龍の
股を見たと言ったな、つまりこれは」
「あッ」「……氏元も判るか。そう、これは汝こそ私の
股肱の臣たるべしとの龍の知らせ……そう思うだろ」
「ははっ、氏元この命を懸けて」
「うん……さて、
王晫の龍経に曰く」